決意新たに。

先日、静岡県文化財団の「静岡県のアーティストを応援する」プロジェクトに応募したが落選。担当者さんからは「この情熱は是非とも通したい」と言ってもらったが(通るものだと思っていた)ダメだった。逆を言えば「静岡県のアーティストでない方は応援しない」という事だ。もともと

将来性ゼロ

公共性ゼロ

成長性ゼロ

波及性ゼロ

の評価を受けていたので、結果としては当然なのだろう。何度も言うがこの評価のお陰で俺はのし上がってきた。今回言いたいのはその事ではない。

 

俺が出したプロジェクトは「このコロナ禍で劇団がどうあるべきか」と言う提案が含まれている。

あのプロジェクトは来年の3月まであってその予定を立てて出した。基本的には映像配信。つまり、この感染拡大を防止する措置がそこには含まれている。安易に自分たちの公演の場にお客さんを呼ぶという事をしない措置がされている。それと同時に気づかされた事もあった。コロナ禍がなくても、会場に来る事が出来ないお客さんがいるという事。このコロナ禍を機会にそういった方に芝居を見てもらうシステムが出来ないだろうか。このコロナ禍を利用する事が出来ればと思っていた。そこであれやこれやの発想などいろいろな事を提案。

俺こんなんだけど、ボランティア活動を積極的に行いたい。その企画を手伝うとか、補助に回るとかでなく、劇団として応援をしたい。この事と「会場に来れない」「会場に呼べない」が合致したプロジェトをやっていく。企画が通れば、今持っている機材をパワーアップさせてやりたかったが、通らなかったので、います持ってる機材で何とかしていくしかない。どこまで出来るか出来ないのかわからないので、超歌劇団が遊びながら方向性を見つけていく。もうどうせ通らない企画なんだから、好き勝手やらせてもらう。やりたい事を馬鹿みたいにやる。程度もそこそこに好きな事をやる。

 

仕方がないっていうか、他がなかったからなんだろうけど、他県への進出や賞レースの参加で

超歌劇団(静岡)

って静岡の看板を背負う事になる。

静岡vs東京(静岡1団体、東京9団体の構図)

で多少なりとも静岡を利用してきた。

正直、静岡を背負って活動するのが嫌で嫌で

仕方がなかった。我々は文化財団からあの

評価を受けた時から「静岡県のアーティスト」

ではないからだ。それでも俺に力がないから

(静岡)って背負う事になる。(静岡)が

つかないくらいの力を手にいる事を目標にする。

まあ今回はその確認もあった。あの時に比べて

俺はどうなんだ?あの時の評価と同じか?

結局は同じだったがな。

 

長々と書いたが、今回言いたいのは

・来年3月まで公演は行わない。たとえその

企画が通らなかったとしても俺はその趣旨を

貫く。それと同時に、劇場、会場なる場所へ

お客さんとして行かない。(今回この件で

団員を失ってる。それでも貫く)

・ボランティア活動を行う

新たなる可能性。コロナ禍関係なく、

子供たちが笑える、笑わせる事が出来たら

って考えるとワクワクする。

・好き勝手やる。

「自由にやれていいなあ」って言われる事が

あるけど、全然自由じゃない。多分わからない

と思うけど俺は自由じゃなかった。

いろんな枷を外して自由にやる。

 

たとえ敵を増やす結果になったとしても。