「夢オチ」って言うだけで、「なんだ夢オチかよ」って言う人を見た事がある。最後までの展開や流れはめちゃくちゃ面白くて「おおー」って感じだった。俺は「おおー、夢だったかあ」って感動してたら「めちゃくちゃよかったのに、なんだよ、夢オチかよ」って言ってたお客さんがいた。何が悪いんだろう。「夢オチ」を安易な結末だと思われてるから?ラスト困って夢オチ?何にしても安易なんだね。
その逆は体感した事ないかな?夢の話し。
小池栄子さんが胸元が開いた服を着て
俺に見せつけてくる。俺はただ胸の谷間を
20センチぐらいからみている。ただじーっと
見ているだけだったが幸せな時間だった。
割と現実感があって起きた時、
「夢だったかあ、そりゃそうだよな」って
思った。んこの感覚か?違うな。
これってこの夢を見たくて見れるもんじゃ
ないし、誰に迷惑かけるもんじゃない。
(俺が胸元をジーっとみているって事を
いいたいんじゃないぞ、夢の話しな)
めちゃくちゃかわいいし、楽しかった。
あんなケーキ屋はないし、食べ物屋もない。
でも何か楽しいって感覚だけだ。この無意識の
想像力の何が悪い?夢オチの何が悪い?
というわけで「夢オチ」の芝居を作る。
もし「夢オチ」がダメって奴が見たら、
この芝居見ている間、延々と「なんだ夢オチかよ」
って嘆き続けるだろう。
具体的に例を挙げられる夢を題材にしたが、
こんなもんじゃないぞ。
とりあえず、タイトルと原案みたいなのを
見せた。どうだろうか?